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鎌田正蔵
鎌田正蔵

鎌田先生が亡くなられて早14年になります。晩年歩くのも大変という状況になっても、制作意欲はいささかも衰えることなく、炬燵をカルトン代わりにして膨大な数のエスキースを残されました。モノトーンの作品がほとんどですが、これら最晩年の「お炬燵の絵」は、むかし新制作で評判をとった作品から、さらに新しい自分の形を見つけようと格闘していたようにも見えます。この「お炬燵の絵」が、観る人それぞれに感慨をもたらし、鎌田先生への想いのよすがになればと思っています。
増賀 睦朗
鎌田正蔵
鎌田正蔵 鎌田正蔵   

先生からいただく年賀状が楽しみでした。手描きの賀状に画家の矜持を見る思いがしたものです。1999年の卯年は、迷いのないしかし少し揺らいだ一本の線が、葉書の画面いっぱいに、兎のまあるいフォルムを柔らかく包み、それはまさしく鎌田先生のカタチでした。そしてこの年の夏、先生の訃報に接したことを思い出します。いま、時折立ち寄る美術館の一室で先生の作品に出会えることを、嬉しく懐かしく思います。
大石 尚


「恋人からよ。」先生からの電話を妻はそう言って取り次いでいた。郡山におられたことは救いだった。表現者としての品格・天稟を感じていた。スランプの時どうされますか?と尋ねたことがある。「描き続けていれば何か出てくる。」何度この言葉に背を押され歩き始めたことか。「お炬燵の絵」がたまると、三春のアトリエでマットに貼り付ける手伝いをしたことなどを思い出す。


私達がパリに居た時、1978年の8月に、先生がパリにおいでになり、オーベールまでゴッホの墓を訪ねました。駅から降りて10分ほど歩くとゴッホの描いた「オーベールの教会」がそのままの姿で在る。びっくりするやら嬉しいやらで、それからまた少し歩いたら一面の麦畑、ゴッホはこの麦畑でピストル自殺をした。右側に墓地があり、弟テオと並んで墓石は小さく貧しく、墓石の前は蔦の葉で覆われていた。その前で一緒におにぎりを食べたのが、先生との一番の思い出です。
岩谷 慶子


長者町と三春のアトリエでの空間は、設えたかのような「音と香」で、その時々のお話を伺うことが楽しみでした。SM判の紙にラフスケッチを日記のように描きとめ、「毎日が発見」と私達にも勧めて、「表現者は継続が大事…」と、帰り際には必ず2冊の小説を渡され、「読んだらすぐ返して」と一言。返却に伺うと、また2冊の宿題。そのやり取りが実に楽しかったことを思い出します。洗練された洞察力・色彩の美と形状は、今も普遍性を放つ。鎌田先生に感謝。
太宰 待子


「遊びにいらっしゃい」という誘いを真に受けておじゃましたアトリエで見せて頂いた作品の中に、これは何で描いたのかしらというものが数多くありました。使い込んだ画材の中にスティックタイプの修正液があり、「このごろはこれで描くんだよ」といたずらっぽく笑って、不思議なマチエールの絵の種明かしをしてくださいました。何かおもしろいものはないか常に試されているようで、歯磨き粉でも靴クリームでもなんでもありだよ!と言い出しそうでした。それぐらい自由に好きなように描きなさいと背中を押されていたのだと、この頃になって思うのです。
中村 亞都子

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