桃山文化の器について
天正2年(1600)、織田信長から自由に窯を焼くことを許された陶工たちが、その朱印状を携えて瀬戸から美濃の地に移り住みました。高度な技術を持った陶工たちが新天地の美濃で、京や大阪の堺など「茶の湯」の流行に合わせるようにして、次々と新しい焼き物を作りました。 なかでも志野・織部は、日本の陶磁器の歴史のなかで、絵筆によって絵付けが施された最初の陶磁器でした。当時流行した文化や時代の文様を、絵筆によって表現し、瞬く間に都の文化人たちの間に浸透。そこには「茶の湯」という、大きな文化の流れがあり、一方では生活の器としても盛んに用いられたのです。こうした需要に応えた志野や織部の焼き物は、当時の文化に大きな影響を与えながら、新たな作風を生んで隆盛していきました。
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