1907年 |
0歳 |
1月21日、福島県岩瀬郡須賀川町大字須賀川字東一丁目三十七番地(現在の須賀川市東町)に須田善太郎・ヒデの三男として生まれる。本名善二。 |
1927年 |
15歳 |
私立石川中学(現・学法石川高校)を卒業する。 |
1933年 |
26歳 |
第14回帝展<秋>入選。美校指導教官である松岡映丘に正式に師事。石川町出身の浦野ぬいと婚姻届。長女初女誕生。 |
1934年 |
27歳 |
東京美術学校卒業。第15回帝展に<高原>入選。 |
1937年 |
30歳 |
杉山寧らが結成した映丘門下の若手作家による研究会・瑠爽画社に加わる。 |
1940年 |
33歳 |
紀元二千六百年奉祝展に<梢>入選。この入選が契機となり、前田青邨に師事する。 |
1944年 |
37歳 |
戦火を避けるため石川町高田桜下に疎開。以後1949年まで石川町に滞在。 |
1951年 |
44歳 |
11月、東京芸大教授となった、前田青邨のすすめで東京芸大美術学部講師となる。以後日展出品をやめ、院展へ出品する。 |
1956年 |
49歳 |
第41回院展に<枯山水石組>出品、日本美術院次賞(大観賞)受賞。 |
1957年 |
50歳 |
第42回院展に<念持仏>を無鑑査出品、日本美術院次賞(大観賞)受賞。 |
1958年 |
51歳 |
第43回院展に<深海曼陀羅>を無鑑査出品、佳作(白寿賞)受賞。 |
1959年 |
52歳 |
第44回院展に<篝火>出品、日本美術院賞(大観賞)受賞、東京芸大助教授となる。 |
1960年 |
53歳 |
第45回院展に<正倉院>出品、日本美術院賞(大観賞)受賞、同人推挙。 |
1962年 |
55歳 |
4月10日〜15日、初めての個展を開催(日本橋三越)。須賀川市立体育館の緞帳が完成。 |
1964年 |
57歳 |
7月10日、午前4時、膵臓癌から心不全を併発し自宅にて歿。 |